逆寅次郎はタナトスを抑えられるか?

悪意のある排除アートと悪意はないが間接的に精神的攻撃を行う排除オブジェ

去年、こんな記事があったよな。

 

[B! デザイン] 巧妙化する「排除アート」 誰にもやさしくない都市が牙をむく時

 

まあこういった建造物とかは、俺が上京した2000年代から見かけていた。
「排除アート」とか「環境暴力」、「アンチ・ユニーバサルデザイン」とか言われてたりする。

境保護を大義名分として、固定費を抑えたいという企業の私利私欲的な欲望を覆い隠す」みたいな話をしたよな。
こういうの、どこにでもあるよな。
「ネオナチによる弾圧からロシア系住民を保護する」みたいな。

 

こういう「本来の目的を覆い隠す虚飾に満ちた大義名分」みたいなのに、何か名前つけてみるか。
「crock of shit」(嘘、たわ言)とか。
「ガラスの仮面」とかかな。
仮面の下には、見られたくない醜い本心があるっつう感じで。
でもガラスだからバレバレなケースもあったり。
まあ、あんまいいたとえじゃねえかもだが、これで話を進めよう。

 

排除アートにおいては、アートは本来の目的ではない仮面で、仮面の下に隠された本当の目的は「ビルのテナントに商店があるから、買い物客が滞在する場所が必要だ」「だけど長居されたくない」「ホームレスの寝床にならないようにもしたい」だ。
ただ、「金を落とす客の満足度向上のみのために一時的に機能する設備が欲しい」っていう意図が見え隠れすると、強欲丸出しだしモラルが低いって思われるだろうから、アートというベールで覆い隠す。

そういう排除アートの写真、撮りためていたんだけど、なくなったから今日はあまり紹介できない。
これからまた撮っていくか。
どこでも撮れるから、別に珍しいもんでもないけどな。
例えば、バスの停車場にあるベンチとか。
公園にある、仕切や突起が付いた居心地の悪いベンチとか、代表的だな。
日本でこの排除アートの話題が出る前に、アメリカのロサンゼルスで似たような事例を描いた本がある。

 

 

 

「要塞都市LA」(マイク・デイヴィス)、これにも排除アートの描写が出てくる。
日本にもあるかもしれないな、スプリンクラーだ。
スプリンクラーが定期的に水を噴射して、園内の緑に水やりをしてあげるんだ。
表向きには「植物に水やりを忘れないなんて、いいね!」って話なんだけど。
実は、その水やりににはもう1つの意図がある。
それは「ホームレスの私物をずぶ濡れにする」っていう悪意に満ちた実践だ。

ほんと、醜いよな、恐れおののいたよ俺は。
一見、良心的な設備であるかのように見えて、実は裏で人間を排除する仕組みを備えているってのは一番怖い。
スプリンクラーの水で、段ボールはずぶ濡れにされ、防寒性能も著しく低下し、布団としての機能を失う。
ホスピタリティに満ちた設備だと思ったら、兵器だったってね。笑えない。

ちょっと探せば、いくらでも画像が出てくるな。

 

Anti-homeless spikes: ‘Sleeping rough opened my eyes to the city’s barbed cruelty’ | Homelessness | The Guardian

 

Campaigners seek new legislation to stop ‘cruel and inhuman’ anti-homeless spikes and sprinklers – Irish Mirror Online

 

Unkind Architecture: Designing Against the Homeless – Pacific Standard

 

The world has a hostile architecture problem. Is public space becoming private? | July 17 – 23, 2019 | Real Change

 

リッツ・カールトンだの東京ミッドタウンだの、いかにもブルジョア階層が通う現場には、必ず”警備員”がいる。
それは「客を選別」するためだ。
高級感を備えたブランド空間を保つには、たとえ警備員という人件費を動員してでも、客を選別してドレスコードを満たさないみずぼらしい輩や、ホームレスのような輩を排除しなくちゃならない。
いたるところで行われてる。

 

電通だとか日本テレビ、俺は就職試験で受けた。

どちらも余裕で落ちたが、それらの企業に入る時、「入り口がおかしい」と感じた人もいるだろう。
おかしいというか「入り口わかりにくい」「どっから入るんじゃ?」「なんか入りにくいな」って感じた就活生は、少なからずいたはずだ。

それは俺や、試験を受けにくる学生が「歩行者」だからだ。
歩行者は”客”じゃない。
歩行者は「求めていない」んだよ。最低限、電車通勤の社員が入りやすい入口だけあればいいと思ってる。

本当の、電通や日本テレビにとっての上客は「”車”を利用する人たち」じゃないかってね。

だからあの設計なんだよ。
入り口をわかりやすく、多くすると、どうでもいい輩が侵入するリスクが高まる。

 

ここ→http://www.sio-site.or.jp/facility/info.htm

を見てもらえればわかる。
イタリア広場とかあるから、これは古い地図だけどな。

あの入りにくい電通本社ビルには、駐車場がある。
487台、って書いてるな。今の台数は知らないけど。
日本テレビや資生堂にもある。
こんな都会に、この駐車場の数って、すごくないか。
サーキットとかできるんじゃねえの。

別に俺は「歩行者」だとか「電通日テレ落ちた」等というコンプレックスから、そういうことを言ってるわけじゃない。
「選民主義的建築物」だと言ってるのよ。

実際、汐留にホームレスは少ないだろう?
もちろん建築家に、そんな意図はなかったかもしれない。
わざわざ「歩行者は入りにくく、車からの来訪者は入りやすく」といった選民主義の設計を行ったのか。
いや「偶然そうなった」のか。
そこは別にハッキリとはわからないし、設計に携わった企業も別にわざわざ邪悪だと捉えかねない意図を声高に言ったりはしないだろうよ。

 

お台場、ここもホームレスが少ない。
ヴィーナスフォートが2022年3月27日に閉店するってことで、この前の3連休に一人で行ったけどな。
ここは、建築物ではなく”交通手段”で、選別している。

歩行者はお台場にアクセスできない。
芝浦からレインボーブリッジを歩く手もあるが、体力的にキツいだろう。
お台場に行くには「りんかい線」という電車を使うか、浜松町から船を使う必要がある。

いわば「うまく選別を機能させている」ということだ。

 

ロマンチックなスポットとしての地位とブランドを保つため、りんかい線はJR線よりも高い運賃が設定され、それによりホームレスや低所得者を排除する。

実際、山手線や東京メトロに乗っているホームレスを俺は見たことはあるが、りんかい線に乗っているホームレスは見たことねえよ。

アウトレットモール、お台場もそうだろうが、郊外型娯楽施設もそう。
ホームレスや中坊、俺のような車を持たない”歩行者”は、アクセスできない。
直通の路線バスが出ている場合もあるが、そうでないショッピングモールが大多数だ。

もしアウトレットモールを歩いていて「お洒落だな~」と感じたとき。
その理由の一つに「歩行者をできるだけ排除し、ある一定の所得水準以上の客が集まるように仕向けて構成された空間だから」ってのもあるはず。

車を持てず、遠くにいけず、スピードも遅い歩行者は、相対的に金がない場合が多く、社会的弱者である可能性が高い。
そしてアウトレットモールは客を選別することに、成功する。
まあ、龍の柄が入ったジーパン履いてる田舎のDQNみたいな客もいるけどな。

 

まとめると、「お洒落スポット」と呼ばれるところには、必ず「客を選別する仕掛け」があるということよ。
俺はそれを積極的に探していきたいと思ってる。

新宿や渋谷にはホームレスが大勢いる。
かつて宮下公園は、本当に誰もがアクセスできる公園だったんだ。
それがまず、フットサル場になった。渋谷のホームレス達の寝床は失われた。

 

原宿新聞 – 原宿エリアの最新ニュース – 宮下公園のフットサル場、6月オープンへ 公園内ホームレスからは不安も

 

さらにフットサル場も閉鎖され、より巨大なショッピングモールになった。
これが今の宮下公園のコンセプトらしい。

 

卵とキャラメルが出会って、プリンが生まれた。
出会いって、愛。組み合わせって、未来かも。
公園の下に、ハイブランド。
ハイブランドの横に、飲み屋横丁。
ホテルも珈琲屋もレコードショップもギャラリーも、
混ざってくっついたらどうなるんだろう。
ごちゃっと自由に、ここは公園のASHITA。
その全部があたらしくなった、MIYASHITA PARK。
さあ開業、開園です。
ニンゲンも風も花も鳥も、どうぞいらしてください。
(引用元:CONCEPT|MIYASHITA PARK 公式ウェブサイト

 

「どうぞいらしてくだい」ってのは、嘘だな。
いや、嘘じゃないかもだけど、公園がショッピングモールになることで、物理的に誰でも来られる場所ではなくなる。

宮下公園は、もともと公共物で、誰でも利用できる空間のはずだった。

しかし私営地となった時、ホームレスは排除される。
移動しなければならない。

そして金持ちと貧乏人のコントラストは際立ち、スラム街が形成され、ゲットーのような棲みわけが起きる。

 

このように公共空間がどんどん私営化、民営化されていけば、弱者は排除されていくんだな。

SECOMとかALSOKとか、もともと公共サービスだった「警備」「警察」という機能が民営化されると、強者はSECOMやALSOKに金を払って身の安全を得ることができるが、弱者は金がないから、自分の身は自分で守らなければならなくなるようになる。
誰も守ってくれない。自分の身は自分で守らなきゃならない。

 

バイク便のソクハイとかもそうだ。
強者は運びたいものを短時間で、遠くへ運べるが、弱者は送りたいものがあっても、何日も要するし遠くに運ぶことも難しくなる。
事業体は配達時間や距離によって価格帯を細かく設定し、金を得やすくする。
民営化ってのは、資本主義の獰猛さに拍車をかける行為でもあるな。
いやもちろんいい側面もあるだろうけど。

公園を追われ、寝床を失ったホームレス達は、24時間営業のマクドナルドに向かう。

 

1杯100円のコーヒーで一晩、粘ろうとする。
だが、寝ようとして机に突っ伏していると「お客さん、ここは眠るところではありません」と声をかけて起こしてくる店員がいる。大体、店舗の責任者的な、黒いチョッキみたいなのを着てる眼鏡と帽子をかけた野郎だ。
なかなか眠らせてくれない。

また、マクドナルドの椅子は、決して「座り心地がよい」とは言えない。
ずっと座っていると尻が痛くなって、立ち上がり、店を出たくなる。

 

これは戦略だな。座り心地の悪い椅子を置くことで、客の回転率を上げる。
深夜のマクドナルドにホームレスがいる、いわばバーガーショップ難民というやつだが。
マクドナルドとしては、なるべく排除したいだろう。
バーガーショップ難民が増加すると、マクドナルドのブランドが落ちるからな。

だから、座り心地のいい椅子は絶対に置かない。
早く出てもらえるよう、疲労がたまるような椅子を置く。
ソファーのある店もあるかもだけどな。

結局、マクドナルドも寝床として機能しないので、寒空の下を歩く。

 

こんな看板を見かける。

 

 

 

ねねと秀吉、のエピソードが書かれたオブジェだ。
なんだこれはよ。

秀吉には12歳年下の嫁ができて、なんで俺にはできない?
なんで俺は独身で、寒空の下で孤独死しかけてる?
こんなオブジェに税金使うんだったら、俺の寝床になるシェルターを作れよ!

苦難の時に秀吉を助けたなんて、何が偉い?
俺に取っちゃあ、別に美談でも何でもねえ。
結婚して、家族のために尽くすなんて、ありふれた話だろうがよ。

 

なんだ、馬鹿にしてるのか?
結婚できない俺を、馬鹿にするようなオブジェだ。
「太閤秀吉功路 人生大出世夢街道」と、秀吉とねねのエピソードを結びつけるって行為は、結婚相手のいないソロに対する間接的侮辱じゃねえのかい?
生涯独身の人間には、人生出世夢街道はねえってか?

 

結局はマイノリティーなんだよな。
家族主義的価値観が優勢、家族愛を美徳として礼賛するカルチャーは、町の小さなオブジェにも刻み込まれている。
単なる被害妄想かもしれないが。
俺は排除アートやオブジェだけでなく、こういう家族愛を礼賛し、ソロに孤独感を喚起させて気分を落ち込ませる精神的排除建築物や精神的排除オブジェたるものを、これからも探していきたいな。

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管理人:逆寅次郎
東京在住のアラフォーのおっさん。大学卒業後、出版業界とIT業界で、頑張ってサラリーマンを15年続けるも、他律的業務と人間関係のストレスでドロップアウト。日銭を稼ぎながらFIREを夢見る怠惰な人間。家に帰っても家族もおらず独り、定職にも就かずにプラプラしてるので「寅さんみたいだな…」と自覚し、「でもロマンスも起きないし、1年のうち誰とも喋らない日の方が多いなぁ」と、厳密には寅さんとはかけ離れている。だけど、寅さんに親近感があるので”逆寅次郎”として日々を過ごし、孤独な独身者でも人生を充実させる方法を模索しています。