逆寅次郎はタナトスを抑えられるか?

「あきらめる(諦める)」ことは「明らめる」ことでもあるので悪いことではない

鎌倉時代、中国で修行をしていた”道元”という禅僧が、日本に帰国した際に広めた「曹洞宗」という宗教がある。

その宗教の主経典「修証義」は、最初に「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり・・・」で始まる。

ここでいう”明らむる”は、俺らが使ってる“あきらめる”とは、全然別の意味で使ってる。

 

「明らめる」とは、「断念する、放棄する、放り出す、投げ出す、望みや希望を捨てる」という「あきらめ」とは違っていて、道理を明らかにする、原因をあきらかにする、ものの本質をつまびらかにすること、はっきりさせることを示すもの、ということらしい。

その教義のルーツは、釈迦の時代まで遡るそうや。

 

お釈迦さまの生まれた国-シャカ国は、隣国コーサラの侵略によって滅亡したらしいが。

滅亡の直前、お釈迦様は”目連”という、神通力(超能力)が使える弟子から「(釈迦国の)首都の迦毘羅衛城(カビラヴァストウ)を、鉄寵(てつかまど)で覆いましょうか?」と進言されたのね。

 

でもお釈迦さまは、「釈種(釈迦族)は今日、宿縁がすでに熟した。今まさに報いを受くべし」(増一阿含経/ぞういつあごんきょう)と、目連の進言を断わったらしい・・・そんなことをしても無意味だと。

一国の運命は個人の力で左右できない。

お釈迦さまはそうあきらめて、「政治」に介入されなかった。

滅びる運命にあるものは、どうしたって滅びる。

じたばたしても仕方がない。

あきらめるべし。

それが、お釈迦さまの決断やったのよ。

 

法話 十三仏(釈迦牟尼仏)―その4 釈迦族滅亡― –平成23年7月–【曹洞宗 正木山西光寺】

 

とかで詳しく解説されてる。

 

つまり仏教でいうあきらめは、「明きらめ」「諦め」。

真実を明らかにすることよ。

 

昔、俺はチャンスを逃したかもしれない。行動しなかったことも多々あった。

だから結婚できず、いい年をこいて独身なのかもしれない。

だけど行動したら自分だけでなく、相手も傷つけていた可能性がある。

 

釈迦と同じく、というと僭越千万だけどな、明らかにしていたケースもあるんだよ。

追いかけても手に入れるのが難しい賭けに、むやみに飛び込むのは無駄な行いだということを。

明らめる、ことが、大事なんだということを!

 

だから悔いはない。

明らかになったのであれば、諦めて、次の一手を考えて行動するしかない。

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管理人:逆寅次郎
東京在住のアラフォーのおっさん。大学卒業後、出版業界とIT業界で、頑張ってサラリーマンを15年続けるも、他律的業務と人間関係のストレスでドロップアウト。日銭を稼ぎながらFIREを夢見る怠惰な人間。家に帰っても家族もおらず独り、定職にも就かずにプラプラしてるので「寅さんみたいだな…」と自覚し、「でもロマンスも起きないし、1年のうち誰とも喋らない日の方が多いなぁ」と、厳密には寅さんとはかけ離れている。だけど、寅さんに親近感があるので”逆寅次郎”として日々を過ごし、孤独な独身者でも人生を充実させる方法を模索しています。