逆寅次郎はタナトスを抑えられるか?

Dr.ハインリッヒのYoutube動画にある”パロール”についてジャック・デリダで解説する

すべらない話、やっぱ兵動面白いな。
オチに行く途中でも笑かしてくれるから、飽きずに聞いてられる。
 
日が空けた日曜日。
なんとなくネット記事を読んでると、こんなのがあった。
 
 
この記事面白い。
ジェンダーバイアスのない土俵で勝ちたい気概と覚悟は、カッコいい。
 
3ページ目の”大物司会者”って浜ちゃんのことかな。
浜ちゃんとか、フェミニズムとか多様性とか、あんまそういうの気にせずにやってるイメージだし。
東野はアップデートしたとか。
 
 
でももし、意識してて、敢えてそれに気づいていないフリで日々の仕事をこなしてたら、やっぱ芸人としてプロだなって感じだ。
芸人はやっぱり、ピエロになる部分はあってほしいと思うな。
ピエロってのは、笑われるっていう意味ではなくて、お客さんに笑ってもらうために敢えて演じている、みたいな。
 
昔、ダウンタウンのガキ使で、森三中の大島が裸でサウナ入ってるのは面白かったよな。
あれは男と女も関係ない土俵で勝負してるって感じがする。
5ページ目で語られてる「ゴリゴリの下ネタいけまっせってやってる女芸人」とは一線を画していて、名誉男性とかも意識している感じもなかった。
 
もし、大島がガチのフェミニストで、松本人志の「遺書」で「女は脱げない」みたいなことが書かれてたから、そんなことない、だからやってやるねんみたいなのを表に出してたら、実際その現場を見ても面白くなかった気がする。
ナチュラルに、手の内を見せずにやった方がカッコいいし、お客さんにサプライズとインパクトも与えられる気がするのよ。
芸人ではなくて、全てのプロにおいてそうよ。
 
例えばミュージシャンがライブの前に、自分の努力の軌跡みたいな練習背景のビデオクリップとか流されたら、面白くないやろ。
「はぁ、頑張って努力したんですねえ」っていうのではなくて、そのミュージシャンの100点に仕上げたパフォーマンスを見に来てるんだから。
別に裏側をライブ当日とかに観たいとか思わないよな。
 
もちろん、逆にバイアスを利用する手もあるけどな。
京大卒のロザンが、クイズ番組で活躍できるように、敢えてバイアスを利用して仕事に活かすのも、ありだ。
でもそれによって、ロザンは失ったものもあるはず。
「ネタであんまり笑えない」っていう現象よ。
ロザンの漫才で、個人的な見解ではあるが、あんまり笑えなくなる時があるんだ。
二人がインテリすぎて。
ネタに属性が侵食してしまうっていう現象ね。
実際、あんま漫才のテレビ番組で二人が登壇するの、観ないよな。
 
だから芸人というか、もし「ネタで評価されたい」のであれば、別に男だ女だというバイアス以外にも、あらゆるバイアスに絡めとられて先入観が生まれないように、プライベートを隠す部分や、ピエロになる必要性はあると思うのよ。松ちゃんも、かなり映画とかを観てるし、インテリジェンスな価値観とかワードを知ってるはずだけど、現場での笑いを最大化するために敢えてそれは出さないようにしてるはず。
 
だからDr.ハインリッヒのyoutube観ようとして、その動画の中に”パロールの時間”ってあったのは、少し気になった。
パロール、これは哲学でよく使われる概念だからな。
まだ観てないから何とも言えないが「ネタで評価されたいなら、インテリジェンスは、出すなよ…」って思ったね。
気にするべきはジェンダーバイアスだけでなく、「哲学に含蓄があるんだな」バイアスもあるからな。
そういうバイアスで客に先入観を持たれると、ロザン現象になる可能性がある。
 
まあ前置きが長くなったが、本題。パロールって何だって話だ。
俺は人前に立つパフォーマーではないから、それについて語るのもありだし、説明しとこう。
 

パロールについて理解するには、エクリチュールとセットにして把握すると判りやすい。

 

象形文字的言語は一つの情念的な言語である。未開状態は、言語のこの情念的起源の最も近くに位置している。
逆説は、これがまた音声言語(パロール)よりも文字言語(エクリチュール)の方に近いということである。
というのも、他のところでは欲求を表現する身振りは、ここでは情念をあらわすからだ。
身振りが文字言語(エクリチュール)であるのは、たんにそれが棒の動きのように一つのデッサンを空間の中に書き込むからだけではなく、<意味するもの>がまず一つの<意味するもの>を意味し、事物そのものをも、直接的に現前している<意味されるもの>をも、意味しないからである。
象形文字的書法はすでに寓意的である。語以前に言葉(パロール)を語り、「眼に訴えかける」身振り、それが未開の文字言語(エクリチュール)の契機である。

根源の彼方に グラマトロジーについて 下 / ジャック・デリダ p184

 

という話があるように、ジャック・デリダは、パロールよりエクリチュールの先行性や優位性を説いた。
確かそれまでの西洋哲学は、あんまよく知らないけどパロール優勢だったんだ。

よくよく考えてみると、エクリチュールの優位性は、随所に見受けられるよな。

数学、Excelの表、ダイヤグラム(図式)、絵画、彫刻、Webサイト、プログラミング言語で構築されたシステム、これらも、パロールよりもエクリチュール(書かれた言語)の領野に属しているだろうし。
刑事ドラマで出てくるダイイング・メッセージとかな。エクリチュールは真実を示す物的証拠になる。

DNA(デオキシリボ核酸:deoxyribonucleic acid)もそうかもしれない。四つの塩基のアレンジメント(組み合わせ/配列)から出来ているというし。

 

敢えてパロールとエクリチュールの二者択一的次元で考えるなら、「書かれたもの(エクリチュール)」と捉える方が妥当な気がする。

ナイナイ岡村、メンタリストDaiGoの炎上事件、あれもエクリチュールの優位性を如実に示すだろうな。
ラジオ番組で語っていたパロールも、ネット記事によってエクリチュールにされ、そちらが真実として大きくなって批判対象となり、謝罪というパロール的パフォーマンスに追いやられる。

エクリチュールから逃れることは難しい、人前で立つ仕事をしていると特に。

 

だからDr.ハインリッヒも、これから聴こうと思うけどな。

決してパロールの時間がエクリチュールによって汚染されてネタに影響が出ないよう、注意を払ってほしいと思うね、ほんとに。

 

まあそれであんまりびびって、言いたいことも言えないようになるとつまらない番組になっちゃうかもだけど。

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管理人:逆寅次郎
東京在住のアラフォーのおっさん。大学卒業後、出版業界とIT業界で、頑張ってサラリーマンを15年続けるも、他律的業務と人間関係のストレスでドロップアウト。日銭を稼ぎながらFIREを夢見る怠惰な人間。家に帰っても家族もおらず独り、定職にも就かずにプラプラしてるので「寅さんみたいだな…」と自覚し、「でもロマンスも起きないし、1年のうち誰とも喋らない日の方が多いなぁ」と、厳密には寅さんとはかけ離れている。だけど、寅さんに親近感があるので”逆寅次郎”として日々を過ごし、孤独な独身者でも人生を充実させる方法を模索しています。