三島の楽寿園は富士山の基底溶岩流の末端にある国の名勝天然記念物!湧水現象の風流を楽しもう
2016年9月25日(日)に、三島の楽寿園に訪問した。
楽寿園の説明。
楽寿園(国指定天然記念物・名勝)
六万㎡におよぶ楽寿園は、小浜池を中心とする富士山の基底溶岩流の末端にあるという溶岩地形と、その溶岩中から数か所にわたって地下水が湧出している現象が天然記念物として指定されている。また、それとあわせて特殊な地形・地質に人口を加えて生み出された固有の美観が、名勝として指定されている。
しかし、昭和三〇年代から環境変化の激しい国土の中で湧水現象が変化しつつあり、現在その方策を検討中である。
明治二三年(一八九〇)に小松宮彰仁王の別邸がここに築かれ、その後明治四四年李王世殿下の別邸、昭和に入って個人の所有となったが、昭和二七年(一九五二)三島市立公園「楽寿園」として市民に公開された。
そんなすごい場所だったんだ。
ボーっと、歩いていた。湧水の写真も撮ってないみたいだし。
ちゃんと溶岩の石から地下水が吹き出る様子をしっかりと見ておくべきだったね。
楽寿園の説明、こちらは石碑。
楽寿園
この庭園は明治二十三年に小松宮彰仁親王の別邸として造園された池泉回遊式の名苑です
溶岩原や源泉とそれを囲む原始林のある天然の奇勝で昭和二十九年に文化財保護委員から天然記念物及び名勝の指定を受けております
富士山溶岩流の最末端に呈する縄状や餅状の溶岩とその岩盤上にある百七十余種の実生による自然林は珍しく、小浜池の溶岩の間から湧出する雪どけの水は非常に見事な流れとなって、夏の木陰にさらに涼を満たし川となって市内を走ります
昭和二十七年に市立公園となってからは遊園地と動物園も併設されて市民の楽しい憩いの地となっております
楽寿館
小松宮の造営された純日本風高床式数寄屋造りの建物で、当時の帝室技芸員や大家の肉筆による装飾絵画は館と共に貴重なものです
郷土館
昭和四十六年に市民有志の協力による校舎風鉄筋三階建の建物が建設
楽寿館は、別の場所にも説明がある。
楽寿園内楽寿館(市指定建造物)
この建物は明治二三年(一八九〇)に小松宮彰仁親王の別邸として建てられたものである。
建築様式は全体的に京風の数寄屋造り(茶室風に造った建物)で、今では数少ない明治時代中期の貴重な建造物である。建築用材も非常に吟味されており、現在では入手困難なものも少なくない。
特筆すべきは、応接用の部屋であった「楽寿の間」の装飾絵画である。幕末から明治にかけての一流の日本画家の競作が一堂に集められており、県指定文化財となっている。
三島氏では、小松宮彰仁親王の別邸として使用された由緒と、国の名勝天然記念物に指定されている園内の一部との照合を考慮し、この建造物を文化財として指定した。
数寄屋造り、ちゃんと見ておけばよかったな。
三島梅花藻、これもしっかり見れなかったなー。
三島梅花藻
キンポウゲ科キンポウゲ属三島梅花藻は清流に育つ多年草で、1930年(昭和5年)に中井猛之進博士により楽寿園小浜池にて発見されたので「三島梅花藻」と名前が付けられました。
三島梅花藻は非常にデリケートで、生育の条件も限定されており日当たりの良い冷たいきれいな水の中でしか育たないので、少しでも水が汚れたり、水の量が減ったりするとすぐに枯れてしまいます。かつては小浜池に湧水が湧き三島梅花藻も見ることができましたが、湧水の減少によりその姿をみることができなくなりました。楽寿園では発見の地での復活を目指し平成21年、柿田川や三島ゆうすい会により三島梅花藻を移植し生育しています。
水の中に緑色のふさふさした糸のような葉をつけた沈水葉と梅の花に似た白い花を水面に持ち上げて咲かせます。水面近くに5つ以上の切れ込みの入った手のひら型の浮き葉をつけるのが三島梅花藻の特徴です。花は1年中見られますが、春から秋にかけてもっとも多くよく咲きます。
「ほんの樹」というのも面白い。
テーマにあった本が木からぶら下がっている。
自然と一体化した陳列方法が素晴らしい。
「上質な読みもの」の籠の中に、3冊の本が入っていた。
読んでみたくなる本ばかりだね。
籠の中に入っていた3冊は以下。
堀江敏幸、その姿の消し方 (新潮文庫)
平松洋子、おとなの味
岸本佐知子、ねにもつタイプ (ちくま文庫)