逆寅次郎はタナトスを抑えられるか?

些細な要望に応じることができない奴は自己肯定的でプライドが高くて弱い感じがする

今日、家電量販店で買い物をした時に、大きい紙袋が欲しかったから「大きい紙袋もらえませんか?」って俺は言った。

すると店員は「入るやつで対応させていただきます」とか言って、大きい紙袋をくれなかったんだよな。

なんだよ、いや俺は品があるからさ、「お客様は神様だろうが」的な、高圧的で偉そうな態度は取りたくないんだよ。

対等に話をしているつもりだよ。

だけど何でだ?なぜ俺の要求を断った?

 

俺は確信したね、そこで。

「”断る”ということ行為で、スッキリしたな、お前!」

偉そうに聞いてくる客、横暴な態度で怒鳴り散らす客、接客業は疲れることが多々ある。

そういう理不尽な客に疲れてつい、それに反発したくなった。

はぁ~?なんでデカい袋を渡さないといけない?SDGSの時代だろうが!?あなたはエコバッグも持参してねえし、本当に利己的!!そんなあんたに一番デカい紙袋をあげる必要はねええよ!!」っていう感情が、沸き上がったんじゃないのか?

 

だから俺の要求を断って、適切なサイズらしい紙袋で入れた。

俺にとっての適切なサイズは、デカい紙袋だったのによ。

なんで素直に従ってくれない?

俺は敬語でお願いして、お前に不快感を与えないように配慮して要求したのによ。

まあわかる、わかるよ。お前の気持ちもわかる。

 

この現代社会で「働く」という行為を続けると、反発心が生まれることがある。

なぜなら、頭を下げ、媚びへつらい、作り笑いをし、本当の自分ではない自分で過ごす中で、自己肯定感は擦り減り、自分のプライドがなくなったり、自分のやりたいことや、こだわりなどが判らなくなっていくからだ。

キマグレンの「LIFE」とかもそういう歌詞あったよな。

 

 

しかしそれに慣れちまえば、立派な社会人だ。

別に気付かないし、意識もしない。

ちんけなプライドを捨て、組織や社会に順応し、頭を下げることやお酌をすること、丁寧な敬語で接客をすること、理不尽なことを言われても我慢すること、それが当たり前の行為として出来るようになった場合、別に「自分へ媚びへつらっている」「自分はへりくだっている」みたいな自意識は希薄になって、問題なくなる。

 

だけど、それが出来ない輩がいる。

まだ順応しきれてない、順応していない。

何か牙が残ってて、何かに反発しようとしている奴がいる。

それが今日、俺に紙袋を渡さなかった店員だ。

俺はこの店員の気持ちがわかる。

組織や社会に染まりきれない反発心を持っている。

 

基本的には従順だし、目上の人だろうが年下だろうが、初対面の人や仲の浅い人には敬語で接する。

だけど、やっぱりどうしてもストレスが溜まっていく。

発散しないといけない。

その発散が「客の要求を断る」という行為だ。

まあこういう小出しの発散はいい。

俺みたいに、サイゼリアで説教してきた上司に、腹立って金だけ置いて途中で帰ったりするとかより全然いいよ。

 

だがそういう発散を行うってのは、青いってことだ。

プロとは言い難い。

「客の要望を断り、最適だと思う紙袋を渡す」ってことは、自分のこだわりを優先したということ、つまり自分のプライドを保ったことだ。

自己肯定感が強くて、偉そうな態度を取ったり、後輩にオラついているような気がする。

勝手な邪推だが、こんな些細な要望すら応じることができないんだからな。

 

俺はこういう店員を見ると、自分を見ているようで嫌になる。

やっぱり、プライドを捨てて、その仕事をやり切る人がカッコいいと思うな。

いやもちろん、仕事の中身において守るべきプライドとかこだわりとかもあるから、別にいつも相手の要求に従うのがプロフェッショナルだというつもりはない。

「紙袋のサイズがどうこう、そんな些細なことで、プライドを保ってんじゃねえぞ!?」ってことだ、俺が言いたいのは。

 

しかしまあ、誰しも、そんなプロフェッショナルとして高い意識を持って仕事に臨んでるわけではない。

半ば消去法的に働いてるやつも大勢いる。

例えば就職活動で「なぜうちの会社を志望しましたか?」って聞かれて、

 

はい、「寝床確保」と「食糧確保」のためです!

 

みたいな、そんな志望動機を前面に押しだす奴はいない。

就活生だけでなく、面接官も、志望動機に何かしらのストーリーやドラマチックな話を求めている。

志望する理由、採用する理由を、美化する、美談にする。

俺が言っている「寝床確保」と「食糧確保」という真実はベールに覆われる。

いや、別にそれは真実の一部ではあるが、全部ではないかもな。

本当にこの仕事を通じて、面白い価値を生み出したい、社会に貢献したい、得意なことを通じて人を感動させたい…こういった精神的な理由もあるよ。

しかしなぜか、精神的な理由の方が声高に叫ばれる。

 

俺も声高に叫んでいた。半ば社会からの見えない要求のようだったな。

出版業界とIT業界にいたが、衣食住に関わる物質的な理由は一つも挙げたことはない。

でも退職したのは物質的な理由だった。

投資する時間や労力に対して、得られるお金が少ないと感じた。

この給与では、車、マイホーム、美味いメシなど、物質的な欲望が満たされないと感じた。

でも辞めるときは「物質的な欲望が満たされないから」という事実は言わない。

何で言わないんだろうな。そういう自意識を抱くように、教育されちまったからだろうか。

社会には理想の自意識像、社会人像みたいなのがあって。

そういった刺激を外界から何度も受け、頭の中で反復することで、そういう自意識ができちまうのかもな。

 

そういう自意識は、自分の人生が映画みたいに、起伏があってドラマチックであってほしいと無意識に思ってしまってるんだよな。

だから自分の人生を語る時や、志望動機を語る時、大げさにする、ストーリーを与える。

でも自分が人間以前、本能に突き動かされる欲望のままに生きている動物であるっていう事実もあるのよ。

その事実は、隠しきれない。

いや隠しきれる場合もあるかもしれないが、俺はダメだった。

 

そんな風に、仕事をする上での自らが生み出したストーリーに亀裂が生じ、不満を持って仕事をするようになると、自分の仕事に対するプライドも敬意も希薄になっていく。

「秒速で稼ぐ!」みたいな詐欺案件だとか、「目が覚めた時が朝になるんです」「モノはいいのよ~!」みたいなマルチ商法で手っ取り早く儲けましょうみたいな話に気持ちが揺らぐ。

仕事が好きだったときや、まだ仕事に対してやりがいや誇りが多少あった時は、そんな話なんて見向きもしなかったのにな。

就職活動で述べたような仕事に対する美化されたストーリーより、物質的な欲望を満たすための動物的な自我が目を醒ましてしまう。

 

その結果、仕事がどうでもよくなり、態度として出てしまうんだ。

「普通の紙袋でいいだろ?めんどくせえ客だな~」みたいにな。

だから相手にプロ意識を求めるは無茶な要求でもある。

自分自身に手を当ててみるとわかる。

「俺だって”何でこの仕事してんだろう”みたいな、希薄な意識で仕事してたよな…」ってな。

 

だからディスることはできない。

ただ、そういうやつは弱い。

俺が会社員からドロップアウトしてしまったように、その店員も、人間としての理性が失われ、動物的になってきている。

 

まあ、紙袋がどうこうってのも、些細なストレスでもある。

そんなことは寝・逃・げでリセットして、明日はこんなネチネチした話をしないようにするかな。

 

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管理人:逆寅次郎
東京在住のアラフォーのおっさん。大学卒業後、出版業界とIT業界で、頑張ってサラリーマンを15年続けるも、他律的業務と人間関係のストレスでドロップアウト。日銭を稼ぎながらFIREを夢見る怠惰な人間。家に帰っても家族もおらず独り、定職にも就かずにプラプラしてるので「寅さんみたいだな…」と自覚し、「でもロマンスも起きないし、1年のうち誰とも喋らない日の方が多いなぁ」と、厳密には寅さんとはかけ離れている。だけど、寅さんに親近感があるので”逆寅次郎”として日々を過ごし、孤独な独身者でも人生を充実させる方法を模索しています。