稗田一穂の絵画は非現実的な世界観で描かれており従来の花鳥画の形式を脱却する
田辺市立美術館の稗田一穂展に行った。
■那智曼荼羅の世界を表現しようとした稗田一穂の作品 | 逆寅次郎はタナトスを抑えられるか?
https://iine-y.com/art/3718/
で、絵はがき4枚セットAを買って、紹介したけど。
Bも欲しくなって、Bも買った。
ベンチで絵はがきの写真を撮る。
Bに入っていた絵はがきについて、図録の作品解説を読んだので紹介。
どれも魅力的な絵だ。
2022年度版の稗田一穂展の図録から引用。
まだ在庫があるか知らない。
在庫の有無は、
●田辺市立美術館ミュージアムショップ
https://www.city.tanabe.lg.jp/bijutsukan/museum-shop/index.html
に確認が必要。
メルカリで出品されることもあるかもしれないけどね。
12|
■鸚鵡と花 1951(昭和26) 田辺市立美術館
この絵だけの解説はなかったが。
図録のp138に、このように書かれている。
1951(昭和26)年の《みみづく》(cat.no.13)などは、「本当はこんなところにミミズクがたくさんいるはずはないのですが、木の中にミミズクがたくさんいて、目が光っていたらおもしろいかなと思って描いた」(7)もので、素朴で非現実的な世界観のもとに繰り広げられた作品は、実際の生態に拠らない。児童画だけでなくこの頃はアンリ・ルソーなどの影響も強く受けており、《そよ風》(cat.no.14)もルソー作品やイタリアの古い絵画を参照するなどしている。
従来題材にされることのない種類の鳥を意識的に扱うことも多く、カラフルな鸚鵡 (オウム)が大きく描かれた《鸚鵡と花》(cat.no.12)は、その主題選択によって「在来とは異質の感覚の画面が出来ないものかと思って描いた」という。《奇異鳥》(1952年、東京国立近代美術館)は、「普通の鳥を描いても太刀打ちできないと思って」、国立科学博物館で奇異鳥 (キウイ)の剥製(cat.no.S23bはそのスケッチ)を見て描いたものであった。(8)
20|p.50
■ふさほろほろ鳥 1956(昭和31) 田辺市立美術館
ほろほろ鳥 は大阪の実家で飼われていた、稗田にはなじみの鳥であり、戦中の卒業制作、《午後》(cat.no.6)にもその姿が描かれている。
本作では動物園で見て、首の特徴に興味をそそられたという*、ふさほろほろ鳥が主役となり、ユーモラスな表情をみせている。
鳥を造形のモチーフとしてのみ扱うのではなく、人と同じような個性をもった存在として描くのは、稗田の特徴であり、花鳥画を形式的なものから脱却させようとする意図がよくうかがわれる。(三)
*稗田一穂「ふさほろほろ鳥」『画集 稗田一穂 ふるさと紀州を描く』郷土出版社、1997年、124頁。
(図録p171より引用)
55|pp.100
■遠き花火 1991(平成3) 田辺市立美術館
本作が描かれたときからおよそ40年前、結婚して間もない頃の稗田夫妻は多摩川沿いのアパートに一時期住んでいたことがあり、そこからは夏に打ち上げられる花火が間近に見えたという*。そのときの感動の記憶から生まれた作品で、稗田は改めて現地に赴いてスケッチしている(cat.no.S44)。しかし、花火は至近ではなく、遠方に見えるものとして扱われ、そのことが本作にノスタルジックな余情を与えている。女性の視線も花火には向かわず、あたかも回想の中のワンシーンが描かれるかのようである。稗田は、消え去る前の花火への思いを記した言葉を次のように残している。「開く時の花火より闇に吸い込まれて、消え果てる間際のはかない美しさ。眼底の残像も、余韻も、惜しむ刻さえも与えずに消え去る花火」*(三)
*稗田一穂「遠き花火」『画集 稗田一穂 ふるさと紀州を描く』郷土出版社、1997年、134頁。
(図録p174より引用)
61|pp.111
■鷹の棲む岬 1996(平成8) 田辺市立美術館
荒々しい波、風に彫琢された奇矯な岩石が林立する、紀伊大島の海金剛 を前にしたスケッチが元になっているが、稗田は「写生から脱して、様々な形の岩を自由に組み立てて見た。夜景も空想である」という*。岩そのものが生命をもって屹立するかのような剛健な画面に、一羽の巣に帰る鷹が描かれる。稗田が触発されたのは、優しさを拒む猛々しい自然の一隅に鷹の命が抱かれる、そのコントラストであった。(三)
*稗田一穂「鷹の棲む岬」『画集 稗田一穂 ふるさと紀州を描く』郷土出版社、1997年、114頁。
(図録p175より引用)
どれも惹かれる絵画だった。
またこの美術館に来よう。
他の写真。
新庄総合公園のベンチ、の一部。
田辺市立美術館にはロッカーもあるので、荷物を預けて芸術鑑賞ができる。