独身者の心を揺さぶる名画を紹介
こちらの絵画は、エドワード・ホッパーの「ナイトホークス」。
権利を管理している協会の方に確認したところ、
販売物での利用などがなければ使用してもよい、
この絵画をトップページに掲載している理由も、 このサイトのコンセプトを正に示しているからでもある。
手前のカウンターで一人、孤独に酒を飲む男。
手前のカウンターで一人、孤独に酒を飲む男。
この男、自分ではないか?
なんかそんな気がした。だからこの絵にすごく惹かれた。
こんな風に、バーに一緒に行く相手もいなくて、 一人でカウンターでちびちび酒を飲む・・・まるで、自分ではないか。
まあ自分は下戸だからバーに行く機会はないんだけど。
もし酒が飲めたら、こんな感じだろうなぁと。
そんな、人生で脚光を浴びることもなく、 寂しく日々を過ごしている男を、 わざわざ描いてくれたホッパーに感謝だ。
ホッパーに惹かれて、さらにホッパーの作品を調べた。
すると「海辺の部屋」という作品、これもグッと来るものがある。
で紹介されてるけどね。
誰もいない無機質な部屋。
のようで、無機質ではないものが描かれている。
差し込む陽光、そして、海だ。
太陽の光と海の様相は、時間ともに移り変わる。
自分の人生は、他の人に比べるとやっぱり、 この部屋みたいに空虚なもので終わるかもしれないし、 実際ソロだからその可能性が高いんだけど。
それでも、この空虚な人生にも太陽と海はあったし、 時間の変遷とともに、変化する日々もあった。
この「海辺の部屋」は、孤独であんまり面白くない自分の人生を、 追体験させてくれる。
「何かいいこともあったんじゃない?」 って感じで。
ソロの人はぜひ観てほしい。
この空虚な空間に、自分の人生を同一視してしまう。
そして、 自分と同じく、人生を追体験させられるかもしれない。
他にもおすすめがある。
ソロに響くアーティスト、川瀬巴水だ。
ジョブスもお気に入りだったことで有名だよな。
巴水の版画は、ソロの人間が描かれてることが多いんだよ。
そんで描かれてる風景がなんとも、美しいんだよな。
馬込の月
(引用元:東京富士美術館)
これは人物はいないんだけど。この風景、 どこかで誰もが見たことあるはず。
子どもの時、 田舎のおじいちゃんやおばあちゃんの家に帰省した時に、 こんな美しい月明かりの夜があったはず。
「ああ、あの時はまだ、 ソロであることの息苦しさとか孤独感とか、なかったよなぁ」 なんて、思い出しちゃう。
get back in my loveっていう、山下達郎の曲があるように。
get back in my memeory的な感じよ、この曲は。
文法的に合ってるかわからないけど。
「日光街道」とかもいいんだよなぁ。
最後にもう1つ、ソロに響く1枚。
西郷孤月の「月下飛鷺」
月下飛鷺
(引用元:水野美術館)
暗闇に飛んでいく一匹の鷺、どこへ向かっていくのか?
さながら、孤独に日々を過ごすソロの人生のよう。
これを描いた西郷孤月自身、 素晴らしい才能と実力がありながらも、 不遇の人生を歩むことになったんだよな。
の中に、本当は西郷孤月も入るはずだった。
でも写っているのは下村観山、横山大観、菱田春草、 木村武山の4人だ。
なんか、橋本雅邦っていう偉い人の娘・榮(えい)という人と、 岡倉天心が媒酌人で結婚したみたいなんだけど、 数ヶ月で別れて師匠の怒りを買ったのが原因?という説がある。
橋本雅邦は、東京美術学校(現在の東京芸術大学美術学部) の絵画科主任教授で、孤月の才能も認めてたみたい。
そんで1906年、天心が五浦に日本美術院を移転する際も、 選抜されず。
その後は各地を転々としながら、 絵を売ったりして糊口をしのいで生きたってな。
友人の春草の死を経て、台湾に渡って。
これから華開くっていう39歳、腸カタルっていう病気で死んだ。
この鷺とか孤月みたいに、美しくはないかもしれないけど。
俺のようなソロの人生は、 闇に向かって飛んでいってるのは確かだ。
闇の先には、月明かりに照らされた天女(配偶者) が待っているのか?
それとも、絵画に厚い雲が描かれているように、さらなる闇( 汚部屋で命果てるまで一人暮らす)が広がるだけなのだろうか?
後者の可能性が、圧倒的に高い。
そんな共感と想像を掻き立てられる名作だな、ほんとに。