稗田一穂「補陀洛那智」(ふだらくなち)に描かれている潮風に耐えて斜めに生えている磯馴木(そなれぎ)を見てみたい
熊野古道なかへち美術館、稗田一穂の展示を鑑賞。
個人的に、印象に残ったのは。
「雲烟熊野灘」「補陀洛那智」「皎月」「帰汐晩鐘」「神瀑 ・那智」「春巡る熊野」「鷹の棲む岬」「伝説・三熊野那智」「伝説・熊野」の9作品だった。
“補陀洛は”ふだらく”と、読むらしい。
図録を開いて、作品の解説を読む。
以下、2022年度版の稗田一穂展の図録から引用。
まだ在庫があるか知らない。
在庫の有無は、
●田辺市立美術館ミュージアムショップ
https://www.city.tanabe.lg.jp/bijutsukan/museum-shop/index.html
に確認が必要。
メルカリで出品されることもあるかもしれないけどね。
51|pp.92-93
■補陀洛那智 1987(昭和62) 個人蔵
大滝を山中に擁する那智は、古くから補陀落(観世音菩薩の住む西方の浄土)への船出の地として、信仰の対象となってきた。この一帯の印象を、稗田は「妖しくも美しい雰囲気は、他に類を見ない鮮烈な私達の魂への振動がある。人の心を瞬時に異次元の世界に持ち去る異様さがある」*と記している。鋭敏な感性がつかみとったこの地からのイメージを、稗田は1970年代の後半から最晩年まで繰り返し表現し続けたが、本作のように那智山を俯瞰して描いた作品は少ない。画面右下に描かれる海は、かつて行われた補陀落渡海 を想起させ、磯馴木、桜とその奥のひっそりとした薄暗い山中は、この世ならぬものが潜んでいることを暗示するのであろう。壮麗な風景画であるが、この地に蓄積されてきた信仰の歴史も巧みに表出されている。
(図録p174より引用)*稗田一穂「悠久なる神爆那智」『紀伊民報』第13399号、1998年1月1日、11面。
56 ■帰汐晩鐘
58 ■神瀑・那智
66 ■伝説・熊野
図録にこれらの絵それ自体の解説は無かったけれど。「また熊野には、古より人びとがその姿に畏怖の念を抱かざるを得なかったような、人知の及ばない景物があちこちで見られる。自らが表現を試みる形而上的とも言える世界が、生まれ故郷には広がっていた。」とあるように。
単なる熊野の風景画ではない。この雲海と紅い太陽がシームレスに熊野の景色と同化している。
まさに物理的な現実と、人間の内面が欲望する幻想の境目を、絵で紡いでいるよう。
64|p.112
■伝説・三熊野那智 2003(平成15) 田辺市立美術館
1970年代の後半から継続して、熊野の森厳な風景に想いを託した作品を描いてきた稗田たが、2000年代から熊野の捉え方にいくらかの変化があったようで、「このごろは那智の滝を含む熊野の雄大さ、神秘さ、深さに、次第に心が移るようになった」*という言葉を残している。高齢になって実際に足を運ぶことが困難になってからは、実景から受けた感銘を元に着想することよりも、心中のイメージに基づいた制作を行うようになっていったのだろう。本作や、《伝説・熊野》(cat.no.66)に見られるように、神武天皇を大和に導いたとされる伝説上の三本足の鳥、八咫烏(ヤタガラス )が描かれるようになり、熊野の表現も象徴的なものになってゆく。同じ文中で八咫烏については、「現実に存在しない三本脚の鳥の姿は、異様ではあるが妙に気になる美しさを私は感じる。冷気を含んだ何かを示唆する美しい象徴に思えて魅力がある」と記している。
(図録p175より引用)*稗田一穂「伝説・熊野」『紀伊民報』第18637号、2005年1月1日、11面。
那智の景色に、観世音菩薩が住む西方浄土への出発地であるかのような、妖しくも美しい雰囲気を稗田一穂は感じたのだろう。
確かにこの絵から、人の心を瞬時に異次元の世界に持ち去る異様さは感じる。
もう1度観たいな。
熊野古道なかへち美術館の周辺、立派な木が植えられている。
春になったら咲くだろうか。