33歳からシステムエンジニアを目指してSES企業に入ったけどPMOとかいって議事録作りばかりさせられた傀儡人形だった
俺は今はフーテンの寅さんみたいな渡世人になってしまったが。
つい最近まではサラリーマンしてたのよ。
最初は出版業界にいたが、本が売れない時代ってことで会社の給与も下がり気味だったため「これからはITの時代だ!」と一念発起し、ITの仕事に携わることにしたんだな。
最初は「給料なんてこだわらなくていい」と思ってた。
技術が身について、将来性があるんだったら、いいんじゃないかって。
「その仕事で何を得られるか」を重要視してた。
「ジャックと豆の木」ってあるだろ。
少年ジャックは母と二人で貧しい生活をしていた。
二人は乳牛で生計を立てていたが、いつしか金は底を尽きやむなくその牛を売ることにした。
牛を売りに行くことになったジャックは、道中で見知らぬ男に出会う。
その男はジャックに牛と魔法の豆の交換を持ちかけるのだった。
幼いジャックは言われるがまま豆と牛を交換してしまう。
当然、母親に怒られ、母親は豆を庭に捨ててしまった。しかし次の日、魔法の豆は雲まで伸びていて、
財宝のある巨人の城へ通じるツルを生やしていた。
って話、この寓話みたいな感じ。
ジャックは俺の境遇と似ていた。
出版社のキャリアという牛(まあ衰退してた会社だけど)を捨て、底辺ITエンジニアという豆を手に入れたんだ。
最初は価値がない豆でも、ツルが伸びて上につながっていてくれると、信じていた。
リスクを張って夢を取ったと考えた、当時の俺は。
エンジニアというツルの先には、財宝につながってると考えていた。
一時的に年収が下がる、豆レベルの報酬になったとしても、最終的にツルが伸びていってる仕事なら、やる意味はあると思ってた。
自分の出版業界のキャリアを活かして、年収400~500万の転職先を狙う手もあったかもしれない。
ただ、それは牛を食らうことと同じだと考えていた。
俺は豆から延ばしたツルで財宝を手に入れる予定だった、システムエンジニアになってな。
だけど俺が飛び込んだ業界は、そんな華々しいものではなかった。
今となっては、SES企業の悪評の情報はたくさんある。
素人、でも演じさせられた「経験豊富なSE」 ネット求人の落とし穴:朝日新聞デジタル
SES客先常駐エンジニアの給料がなかなか上がらない理由【基本薄給です】 | なうブログ
だが当時の俺は無知だった。
エンジニアになることが、ツルが延びる豆を手に入れることだと思ってた。
しかし実際、俺が手にしたのは、本当にただの豆だった。
丹波の黒豆みたいな美味しい豆じゃねえぞ。
節分とかでコンビニで安く売ってる、味がしない豆まきに使われる豆だ。
最初に転職したSES企業から、とあるIT企業に派遣された。
そこで俺はリーダーに「PMO的な仕事をやってもらおうと思う」と言われた。
リーダーは仕事が出来る人で、嫌な人ではなかった。
頭がよくて、Javaのシルバーだかゴールドを持ってるって話だった。打ち合わせをしながらホワイトボードにシステムの構成図とかフローチャートとか書き、現況を的確にまとめて共有化したり、すごいカッコいいなぁと思った。
みんなに慕われてたし、俺とあまり変わらない年齢のはずなのに、若い女性社員ともキャピキャピ話してた。
結婚もして、子どもも二人いるみたいだ。
俺は「最強伝説黒沢」の主人公の黒沢のような情けないジェラシーや虚無感を頂きながら、PMOの仕事をこなしていた。
(引用元:「最強伝説黒沢 1 [福本伸行]」)
なぜ虚無感か?
その一番の理由は、俺が思い描ていたシステムエンジニア像と全く違うからだ。
パソコンをカタカタさせて、コーディングをしてシステムを作る感じ。
もしくは、昔テレビでやってたブラッディ・マンデイの三浦春馬の如く、システムに侵入してなんやかんやする。
そういうのがエンジニアじゃねえのか?
しかし俺が主に担当したPMOの仕事は、システムを触る仕事じゃなかった。
「会議を予約⇒会議に参加⇒議事録作成⇒関係者に発行」の繰り返し。
もちろん会議で、システム的な話題は出る。
JavaやOracle、SQLとかな。
だけどそうじゃねえんだよ。
俺はそういうプログラミング言語を触りたいから、IT企業に飛び込んだんだよ。
会議で話まとめるために転職したわけじゃねえ。
出版業界出身の俺に議事録とか文書作成の仕事させるってなんだよ。俺はプロとしてやってたんだぞ、ならそれ相応の給与を払わんかい!
なんて、言えるわけもなく…。
自分がコミットしてない案件とか、システムとかの話を聞いても、当事者じゃないから全く親近感も湧かない。
面白くねぇ。人の話をまとめるだけの傀儡人形だった。
技術者、エンジニアとは程遠い。
PMO(プロジェクト・マネジメント・オフィス)なんてカッコいい呼び名もらっても、やることは雑用じゃねえか。
しかも年収300万円台、前半。
マネジメント職なのに、なんだこの給与はよ。
マネジメントをやっているというよりは、単に事務仕事をやってるだけという感覚しか持てない。
いつかはシステムを触る仕事もさせてくれるだろうと思って、頑張ったが。
でもダメだった。8か月で辞めた。1年もたなかった。
辞めた最後の日は、一人で居酒屋に行って、自分を慰めた。
(引用元:「最強伝説黒沢 1 [福本伸行]」)
「たぶんずっと、システムの仕事はやらせてもらえそうにないな」と判断できる事柄はあったと思うな。
その事柄についてはまた気が向いたら話すか。
俺と同じ境遇、SES企業に就職して、IT企業に派遣された派遣先で。
ずっと議事録とか会議室の予約とかさせられている人もいるだろうし。
でもIT企業に入って、システムを触らないと技術も向上しないから、キャリアアップに繋がらないケースが多いからな。
プロパーでシステム触らずに指示とかするだけの役割なら、別に昇給とかするかもだけど。
の記事に出てくる部長とかな。
この記事に出てくる45歳さんは、まだシステムを触る仕事に携われてるから、スキルや経験も身に付いて、エンジニアとして食べていけるだろうけど。
PMOなんてのを、派遣業務としてやり続けた場合の未来は明るくない。
文書作成、のキャリアにしかならねえからな。
そんなの履歴書に書いて評価されるケースはほぼないだろうよ。
まあとにかく「こういう派遣先は、すぐに逃げろ!」っていう判断基準として、「”PMO”という言葉を疑え」ってのはある。
他の判断基準はまた別の機会にするか。
というかそもそも、SES企業には入らない方がいいかもしれねえけどな…。