村上龍によるモテない男あるある
ある日、村上龍のエッセイを読んでると。
こういったことが書かれていたんだな。
「もてない人間たちは、恋愛どころではないという世の中になって欲しいのだ。戦争を推進するのはもてない人たちなのではないかと思うこともある。」
うわ〜これは偏見じゃないの。
でもちょっと判る気もする…(苦笑)
モテないとやはり、何かイライラして攻撃的になったり、破壊衝動が湧いてきたりする。
俺もかなりモテない方で、「何でこんなしょうもないことでイライラしてるんだろう」と、ふと思ったりしちゃうんだ。
それで自己嫌悪になったりすることも多々ある。
しかし過去に少しだけあった?と勘違いしているモテ期の時は、今より人に優しくて、穏やかだったような…。
少々のことでも怒らない忍耐があった?ような気もする。
つまり、ってここでつまりって一般化するのも変だけどよ、場合によってはモテない人=悪人が成り立つことがあり得るって話な。
古い例だが、秋葉原で連続〇傷事件を起こした人も、モテないコンプレックスを吐露していた。
柏の通り魔事件を起こした人、その人も素人童貞で、彼女募集中だった。
名古屋で無差別〇人未遂事件を起こした人も、「女性との交流はあるが、いずれもキャバ嬢か風俗嬢だ。本当の意味では相手にされてない。」と、悩みを吐露していた。
ゆえに村上龍が語るモテない人=戦争(≒破壊的行動)推進者予備軍=悪人に、ある程度頷いてしまうような気もするな。
いやもちろん、ラベリングはいけないし、別に村上龍の著作でモテない人は悪人だって書いてるわけではないからな。
俺の個人的な意見ね。
モテなくても優しい人や、立派な人もいる。
「みにくいアヒルの子」の著者のアンデルセンもモテなかったらしい。
何回も振られて、結局誰とも結婚出来ずに生涯独身で死んじゃって、でも後世に残る名作をいっぱい残したからな。
だから一概に、モテない人=悪人と決めつけるのは、やめたほうがいい。
まあ、もしこの記事をもし読んだモテない人は、「ああ、イライラしたり、変な攻撃衝動が湧くのは、モテないってのも1つの理由なのかぁ、カッコ悪いなぁ。」と認識し、自分を恥じるべきよ。
そこで自己嫌悪してもいいけど、自尊心を失ってはいけない。
「モテなくても、人を妬んで迷惑をかけるところまで落ちぶれないようにしようと」と、心に誓い、自分は自分が幸せではないからといって誰かを傷つける最低な野郎には成り下がらないぞという矜持を持って、ささやかな幸せを追求して生きていこうでないか。